どこまで見守るか、どこまで見届けられるか、具体的にうごけるか
それぞれの暮らしのなかで、ひとりで抱えることの限界、全体で抱えることの限界
自助、共助、公助
言葉にすればたった2文字の羅列だけれども、生きがいをもって最後まで生ききることへの本人、まわりのありよう、葛藤、喜び、後悔、は、なかなか他の人からはみえにくい
そもそも生きがいをもって人生をまっとうしないといけないか、理想はそうだけども、理想を糧に毎日の暮らしを積み上げていける人はそうはいないと思う。
春になって花の多い季節になってきて気持ちがよくなる、少しあたたかくなる、子どもと違って昨日できなかったことが今日できるようになったというのは少ないと思うけれども、それでも何かできるようになったら嬉しい。そんな小さな心の動きを感じられる人生であれば素敵だと思う。
かかわりあいがある山里の地域では、最後の最後までできる限りまわりでも見守ろうとする、見守りの恩送り
かかわる喜びなのか、自分のときにもという祈りなのか、かかわりがなくなったらという恐怖なのか
聖人君子はどこにもいない、ぐるぐるという正負の感情をもったひとりの人間だけ
ひとりの人間が、つながりあって、かかわりあって、小さな生きがいを重ねながら、人生をまっとうしていく、そこには次の世代へつながっていくものが存在する。ひとりの人間ではできないことが、たくさんの人間のかかわりあいでできるのであれば、ひとりひとりのありようはかわっていく。
そんなやさしいつながりあいやかかわりあいが広がっていく、ここをそういう場所にしていきたい。
コメントを残す